Latest Entries
ご報告:帰っちゃた
結局はどうしうようもなかったということでしょうか・・・。
やっぱり正攻法で就職活動をしてとなると、彼らの場合はかなりハンデがあるし難しいのではないかと思っていましたが。逆にトリッキーな方法でいけば、何もなさは武器にもなりうるんだろうと思うけども。日本に来て2,3年目の講師だったら、このタイトルもBLOGもなかったかもしれません。
なんとなく、機動戦士ガンダム 逆襲のシャアで地球に落下しようとするアクシズ(隕石)を、ニューガンダムたった一人で押し戻そうとする絵図らが思い浮かびました。そもそも無理があったのかな・・・。
とりあえずご報告です。
後日、うまくまとめておきます。
日本での楽しかった思い出みたいなのが書かれてたんだけど、私のことも、このBLOGのことも一言も書いてなかったですね(;><) ちょっと笑ってしまった。
ブログでの論争・議論 その2
1 そもそも、「管理人さんにとっての荒れているという状態」が正しく定義されてないと、荒れないようにするための解決策を出すのは難しいかもしれません。 例えば、「日本にいるなら日本語で話せ」のエントリは、管理人さんの主張が多数の閲覧者によって否定されたという結果になりましたが、あれは管理人さんにとって荒れていると感じたのでしょうか…。 -Nさんより-
部分的には誤解もふくまれているので、そこは別エントリーします。コメントありがとうございました。とりあえずBLOG論みたいな話になっていたので、そこだけこのエントリーで書きます。
>荒れているの定義
確かに何を持って荒れるとするかもありますね。このBLOGの最近のやり取りは別に「荒れた」とは思っていません。「ちょっぴりやんちゃなコメント欄」ぐらいのもんだと思ってました。
もし、私が荒れてるを定義するならば、見ている人にとって楽しくもない無意味な書き込みの連続を荒れているのだと思います。言葉遣いがどうとかの問題ではなくて「死ね」「帰れ」関係のカキコミとかスパムの連続とかですね。「不毛なやり取り」としてもいいです。見ている人や参加者楽しかったり、最終的には管理者が何かしら有意義なものを発見できるかどうかで「荒れている」と「殺伐としながらも活発な状態」の差があるんじゃないでしょうか。当事者はけっこう大変かもしれませんが、傍観者からすると見てて、けっこう楽しいもんじゃないですかね? どうなんだろう。「ウハw管理人なみだ目w」とか思われててても、まあ楽しければいいんじゃないかと思います・・・。私は有意義なものがあったと思っているので、私の判断では荒れたとは思っていません。和気藹々してたかといえば、それもちょっと違いうし、ベストな状態かといえばそれも違いますが。
結局は「荒れている」の定義も人それぞれでしょうし、定義するのは管理人であり、さらには「荒れている」を良しとするかどうかの問題だと思います。「炎上」を望む人も世の中にはいるでしょう。言葉の揚げ足をとったりされると不毛だし、相手がはなっから悪意があって叩くことが目的の人だと建設的な議論は難しい。信頼関係が相互にあると真意を汲み取ったり、語弊を語弊と認識することに気が回ったりするんだろうけど、見知らぬもの同士では難しいです。例えば、とつげき東北氏のように、論がたちユーモアもある方で高度な議論の技術をお持ちの人ならば、相手に悪意がある人だとしても議論は可能じゃないかと思ったりもしますが、私にはどっちにしろ無理ですね。
どう作用するのかわかりませんが「ギャラリー」のあるなしも検討に入れる要素かもしれません。管理人の意見を変えたいとかなら、メールで伝えるという方法もあるかもしれないけど、どうなんでしょうね。逆に管理人側に封殺される危険性もあるかな。よくわからない。
管理人側の意見としてですが議論になると書くことに神経も使うし、更新その他がストップする悪影響が出たりするので、BLOGを更新することでアクセスを維持している人とか、アフィリエイトでお金がかかったりしている人には、さらに別の問題が要素としてからんでくるんだと思います。私は「自分にとって負担になってるな」と少しでも思った時点で、もう引きますね。それ以上は深く突っ込まないです。
場が荒れている風に見えるのを嫌う管理者によっては「これ以上カキコミ禁止」などの強権を発動するケースもありますよね。書きなぐりで申し訳ないけど、あまりまとめる気もないので、何かの参考にしてください。
2 コメントに対してコメントしないという手法は、コメントしたい人の意欲を奪うことによって荒れないようにする方法ですが、この方法を使ったからといって間違った主張が正しくなるわけじゃないし、ブログを過疎化させるという弊害もあります…。 -Nさんより-
確かにおっしゃるとおりです。私が書いたのは「荒れないように」という視点からなので「アクセスアップを目指すためには」「女の子にもてるBLOGにするには」といった視点で語れば、また別の方法も考えられるでしょう。
「この方法を使ったからといって間違った主張が正しくなるわけではない」
これはBLOGの発信者が何を求めているか? によると思います。自分の主張に対しての浄化作用などを求めるなら、確かにそうだろうし、広く意見を求めるのがいいでしょうね。ただ主張したいだけの人にはいらないことだと。
「ブログを過疎化させるという弊害もあります…」根本的にはBLOGの人気はコメント欄の有無でもデザインでもなく「書いてある内容」だと私は考えています。人気・アクセスを求めるかという問題はあるにしても、BLOGの面白さは記事にあるわけだし。ここがしっかりしていれば過疎化は起こらないでしょう。
BLOGを見ている人にとってのBLOGの面白さは、実際に書かれている記事が主だとは思いますが同時に「同じ記事を見た他の人がどう思ったか?」も楽しめる重要な要素ではあると考えています。「自分の感想が世間一般のソレと同じか? 違うのか?」みたいなところです。この意味でコメント欄そのものを閉鎖するのは私はあまり面白くないと思う。トラックバックも同じ意味合いです。管理人によってはコメント欄にネガティブなことを書かれること自体を嫌がる人もいるので、判断は管理人によるでしょうね。個人の日記のようなBLOGは別ですが、ある程度のアクセスのブログでは、筆者との直接対話というのはBLOGの楽しみ方としてはオマケみたいな部分じゃないかなと思います。アクセスが増えれば時間的な制約や悪意ある人の出現もあって、必然的にコメントしない方向にならざるをえないんじゃないでしょうか。
コメント1つ1つに返事ができないけども「これはおかしいよ」みたいなコメントが集まれば、BLOGの作者も無視せずに、なんらかのアクションを起こすと思います。「コメントに返事をしない」=「読者の意見・存在をまったく無視する」というわけでは、少なくとも私はありません。私のスタンスですがスパム関係は別として、いただいたコメントのすべてに感謝しています。取り上げやすいものは、このように勝手に取り上げさせてもらって、エントリーにしています。
管理人が答える義務や責任がないと言ったと同様に、閲覧者にも筆者からの問いかけに答える義務も責任もないのは当たり前です。私もコメントがどうしてもほしいというわけではないですが、あればやっぱり嬉しいです。管理人側の意見としてですが、コメントもらうメリットは、やっぱり書いたものを読んでくれているのだと実感できることや、見ている人がどう思っているのかを知れたり、あるいはネタになったり、書こうと思っていたことを思い出せたり、別の視点での指摘、これは批判も含めてですが様々じゃないでしょうか。筆者のモチベーションにつながる部分はあると思います。
と、同時にそのコメントは他の閲覧者にとっても楽しめるものになりうるのではないかと考えています。CGM(Consumer Generated Media)みたいなところと関連してくると思うんけど、見ているだけよりは、少しでも参加してくれてBLOG面白さの一部を生成してくれる関係がベストだと考えています。インタラクティブな要素が皆無というのは面白くないとは思うけども、管理者の時間的な制約や思惑によって排除せざるをえない事情もある。結局は管理者が何をどうして最終的にどうしたいのかという、当たり前の話に行き着くことになるでしょう。
私もコメントしないと切り替えたものの、コメントを見ているとちょっと歯がゆさもありますね。「それはそうじゃないんですよー」と思わず言いたくなりそうです。「閉めたと思った扉がちょっと開いてた」ぐらいの気になる具合です。そのうち慣れるんでしょうが。しばらくは慣れるために、コメント欄に直接返事をするのを意識的にひかえてみます。アシカラズー!
ブログでの論争・議論
その前に、興味深いエントリーがあったのでご紹介しておきます。
個人ブログを破滅させる11のことがら+1(追記)/NC-15
http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20080216/1203166312
個人ブログを破滅から防ぐ12のtips/404 blog not found
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51003947.html
BLOGの経験はあまりありませんが、昔から麻雀関係のサイトをやっています。麻雀というカテゴリの中では、それなりに大きな個人サイトの部類です。昔は訪問者と相互に意見交換ができるBBSなりがあって、思想や主張をしているわけではなく麻雀のルールを教えているだけなんだけど、それでも荒れるんですよね(笑) そういう経験があって、語り合うのは無理じゃないかと経験的に感じました。
あらためて感じたことを書きます。こういうのに興味がある方の参考のために、いちBLOGの管理者としての一方的な意見です。突っ込みどころもあるでしょう。特に「WEB上で議論が円滑にすすむように環境を整えたい」と思っているわけでもありません。必要なことかと思うけど、それは誰かにおまかせします。
1 BLOGの作者と、匿名の閲覧者ではそもそもの条件が違う
BLOGの管理者はBLOGがあるから、逃げ出すこともできない。今後、BLOGを続けていきたいという前提ならば、失言とか赤っ恥を書いた時に失うものがあるように思います。例えば実名や職場を公表していると、実生活に害が及ぶケースもあるかもしれません。BLOG論争で殺人事件に発展したという話はあまり聞かないけど、そういうことがあっても不思議じゃないと思います。
逆にいえば、BLOG作る側は巡り巡って実生活に被害が出る可能性や危険性があることも認識しないといけないんでしょうね。
後で追加しますが、管理者と閲覧者ではいろんな意味で条件が異なってきています。
404 blog not foundさんの「7」の条件に
コメントにはコメントしない
コメントしたい場合は、別entryをあててしまうことにします。唯一の例外がtypoです。
コメント欄で議論している方は、blog主がそのblogにおいては絶対の独裁者であることを忘れがちです。blog主は、その記事を削除することはおろか、その記事を痕跡なしに訂正することすら可能だということを覚えておいて下さい。
そのblogと対等に議論したいのであれば、自分のblogで発言したうえでTBするか、そのことのみをコメントすべきでしょう。
こうするのがいいと私も思います。批判・議論をしたければ、自分でBLOGを作って批判のエントリーを書くのがいいんじゃないかな。
2 BLOGの作者はそもそもコメントに返事をする責任も義務もない
私は昔からこう思っていました。コメントするとしたら、その動機はたぶん管理者側の「善意」みたいなもんじゃないかと考えています。私も別に答えたくないとか、めんどくさいとかではなくって、簡単に答えれるもんなら、答える時間もあるけど、例えば「麻雀牌で赤い牌があるんですけど、これはなんでしょうか?」みたいな質問を受けても、これを答える義務も責任もないでしょう。答えたら親切だとは思うけども。だから「管理人は都合の良い質問にしか答えていない」というのは、そもそもの前提から考えると、無意味なことなんだと思っています。
ただし、常習的にお礼みたいなコメントを返していると、こういう前提が見失ってしまうし、選んでコメントを返していると「都合の良い質問にしか答えていない」という指摘を受ける原因にもなります。平和的にいくなら、コメントしないのがやっぱりいいんじゃないでしょうか。
「前提」は私が勝手に思っているだけの前提なのであしからず。明文化しておくのが不要なトラブルを避ける意味でいいと思いました。
3 筆者が負う責任は最終的には法的なもんじゃないかと思う
間違ったことや思い込みを書いても、そこには最終的な意味で「責任」はないと感じています。もちろん、間違ったことを書けば批判・炎上につながるだろうし、信用も失うだろうから、アクセスアップその他の視点で見るといいことじゃないのは明かです。BLOGの大きさによっては、考慮すべき問題だとは思う。
だけど、最終的には「責任」でいえば、ないんじゃないだろうか。あるとするならば、名誉毀損とか侮辱とかで、法的な責任を問われたら、それは「知りませんでした」では済まない。ここは最終的に法廷で争うなりなんなりで「責任」を持って処理すべき問題だと思っています。
4 管理人対閲覧者 という形式で円満に議論しているサイトを知りません
私が知らないだけかもしれません。管理人と閲覧者という形で、コメント欄などで議論して、見た目に「荒れず」にうまく議論しているサイトを知りません。2chやmixiのコミュニティーのような参加者が同一の条件で話をしている場でも、けっこう荒れ模様です。
参考までに、講談社の現代新書から『科学する麻雀』という本が出ています。この作者のとつげき東北氏とは、別方面でインタビューさせてもらう機会があってお世話になりました。非常に論のたつ方だし、いろいろな意味で尊敬しています。議論好きな方でもある。毒舌な方かつ麻雀という分野なので、アンチも非常に多いです。
とつげき東北氏のサイト「システマティック麻雀研究所」の掲示板では議論可能なのですが、掲示板の利用規約があります。
掲示板上の発言・発言者に対する「批判・中傷・名誉毀損・侮辱」を相互に認め合うものとします。掲示板での発言・発言者に対して「批判・中傷・名誉毀損・侮辱」等があっても、法的措置を取らないことを約束した上でなければ発言できません。
荒れることを前提としているようで面白いです。こういう感じならば、議論可能なのかな、という思いもしますね。可能かどうかは別として「やる・やらない」の選択権は管理人側にあるのは、当たり前です。道を歩いていて、いきなり「議論しましょう」と言われて受ける人はいないけど、BLOGで主張・情報発信することは、なんらかの、そういう要求を受ける覚悟みたいなもんは必要じゃないだろうか。で、要求を受ける覚悟はしてても、やっぱり議論するしないは、管理人の自由なんだと思います。
5 1人 対 複数人 という状況ができあがる
管理人は読者全員と議論するでしょうが、閲覧者は管理人一人だけを見てればいい、という話なんで、負担が違うのではないかという話。もちろん、擁護する人、批判する人にわかれての陣営ができるのでしょうけども。「一人と複数」で何が悪いのか? といわれたら、別に悪くないと思う。相手が何人いようと議論できる人は議論できるだろうけど。
ちょっと思ったのは、例えば管理人が無名の閲覧者と議論になって「これこれはどうなのか?」と管理人から質問を投げかける。これが無視されても、何事もなく進行していく。逆に無名の閲覧者からの質問に答えないと「ここの管理人は無視する」とか「都合の悪い質問には答えない」と外野から声があがるケースもある。何が問題なのかわかりません。こういうケースもある、というだけの話です。
6 変な人もいるんだという話
アクセスが集中した時にアメリカ人2人とも話をしました。彼らとしては「仕事は欲しいけども、別に援助が欲しいわけじゃないんだ。批判もいらないし」みたいなことを言っていました。私の意見では、それは無理だろうという話です。
アクセス数があがれば、一定の割合で仕事をもらえて、援助の申し出があって、批判も罵倒も受ける。優しい人も変な人も、アクセスの総量が増えるほど、一定の比率で入ってくると思う。書くエントリーによって、ある程度はコントロール可能なのかもしれないけど、批判ゼロにするのは無理でしょう。
私としてはアクセスが増えればプライベートレッスンの数も増える。ここは、ありがたくもらっておけばいいと思う。批判を減らすことに全力を傾けるよりは「批判を気にしない精神」を身につけるほうがベターじゃないかと。ネットで「帰れ」「死ね」といわれても、気にしなければ結果として残るのは、プライベートレッスンだし。
アクセス集中していた時も掲載する日記には私からアドバイスをしていました。日本人受けする内容を書いたほうがいいし、気軽な気持ちで軽犯罪にふれることを書けばヤバイことになるのは当然わかっていたので。あと「女の子とどこどこに行った」関係もなるべく控えたほうがいいという話。「どうしてだ?」と聞き返されたけど、事実として別に女の子と遊びに行くことは悪いことじゃないし、他人にとやかく言われることじゃないんだけど、書いたら余計な誤解と批判を招くという話でした。
7 何のために議論するのか
これはネット上で、という問題に限らないでしょうが、ここの合意ができていないと、何のために議論しているのかわからないし、合意をとることが難しいもんだと思う。「議論を楽しむために議論する」でもいいし「世界を変えるべく、私は自分の意見を主張する」でもかまいません。
悪意があって、BLOGの管理人を叩くことを目的する議論もあるでしょうし、自分の意見を磨くための議論もあってもいいけど、どれなのかわからないんですよね。良い議論ならば価値あるんでしょうが、それがわからないし。
一般論としてですが、批判するのはいいんだけど、じゃあ、その代わりに「どうあるべきか」「どうしたらいいのか」は書くべきことだと思います。建設的な議論のすすめ方、みたいなものは、どっかで研究されていると思うので参考にするといいんじゃないでしょうか。
| ネット時代の反論術 (文春新書) | |
![]() | 仲正 昌樹 おすすめ平均 ![]() 「議論」もどき、「論争」もどきの時代の処世術 わたしを誉めよ!讃えよ! 褒めてはいけない 百戦錬磨の結論はダーティに 議論の考え方Amazonで詳しく見る by G-Tools |
読んでないんですが、面白そうなので読もうと思っています。
あと、面白い本なので『科学する麻雀』もご紹介しておきましょう。
| 科学する麻雀 | |
![]() | とつげき東北 おすすめ平均 ![]() インターネット麻雀「だけ」に有効な良書 人に薦める唯一ともいえる麻雀本 負け組or初心者向けの解説書という印象。 サブカルチャー的学術書としては秀逸 訥々とAmazonで詳しく見る by G-Tools |





「議論」もどき、「論争」もどきの時代の処世術
わたしを誉めよ!讃えよ!
褒めてはいけない





