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ブログでの論争・議論 その2
1 そもそも、「管理人さんにとっての荒れているという状態」が正しく定義されてないと、荒れないようにするための解決策を出すのは難しいかもしれません。 例えば、「日本にいるなら日本語で話せ」のエントリは、管理人さんの主張が多数の閲覧者によって否定されたという結果になりましたが、あれは管理人さんにとって荒れていると感じたのでしょうか…。 -Nさんより-
部分的には誤解もふくまれているので、そこは別エントリーします。コメントありがとうございました。とりあえずBLOG論みたいな話になっていたので、そこだけこのエントリーで書きます。
>荒れているの定義
確かに何を持って荒れるとするかもありますね。このBLOGの最近のやり取りは別に「荒れた」とは思っていません。「ちょっぴりやんちゃなコメント欄」ぐらいのもんだと思ってました。
もし、私が荒れてるを定義するならば、見ている人にとって楽しくもない無意味な書き込みの連続を荒れているのだと思います。言葉遣いがどうとかの問題ではなくて「死ね」「帰れ」関係のカキコミとかスパムの連続とかですね。「不毛なやり取り」としてもいいです。見ている人や参加者楽しかったり、最終的には管理者が何かしら有意義なものを発見できるかどうかで「荒れている」と「殺伐としながらも活発な状態」の差があるんじゃないでしょうか。当事者はけっこう大変かもしれませんが、傍観者からすると見てて、けっこう楽しいもんじゃないですかね? どうなんだろう。「ウハw管理人なみだ目w」とか思われててても、まあ楽しければいいんじゃないかと思います・・・。私は有意義なものがあったと思っているので、私の判断では荒れたとは思っていません。和気藹々してたかといえば、それもちょっと違いうし、ベストな状態かといえばそれも違いますが。
結局は「荒れている」の定義も人それぞれでしょうし、定義するのは管理人であり、さらには「荒れている」を良しとするかどうかの問題だと思います。「炎上」を望む人も世の中にはいるでしょう。言葉の揚げ足をとったりされると不毛だし、相手がはなっから悪意があって叩くことが目的の人だと建設的な議論は難しい。信頼関係が相互にあると真意を汲み取ったり、語弊を語弊と認識することに気が回ったりするんだろうけど、見知らぬもの同士では難しいです。例えば、とつげき東北氏のように、論がたちユーモアもある方で高度な議論の技術をお持ちの人ならば、相手に悪意がある人だとしても議論は可能じゃないかと思ったりもしますが、私にはどっちにしろ無理ですね。
どう作用するのかわかりませんが「ギャラリー」のあるなしも検討に入れる要素かもしれません。管理人の意見を変えたいとかなら、メールで伝えるという方法もあるかもしれないけど、どうなんでしょうね。逆に管理人側に封殺される危険性もあるかな。よくわからない。
管理人側の意見としてですが議論になると書くことに神経も使うし、更新その他がストップする悪影響が出たりするので、BLOGを更新することでアクセスを維持している人とか、アフィリエイトでお金がかかったりしている人には、さらに別の問題が要素としてからんでくるんだと思います。私は「自分にとって負担になってるな」と少しでも思った時点で、もう引きますね。それ以上は深く突っ込まないです。
場が荒れている風に見えるのを嫌う管理者によっては「これ以上カキコミ禁止」などの強権を発動するケースもありますよね。書きなぐりで申し訳ないけど、あまりまとめる気もないので、何かの参考にしてください。
2 コメントに対してコメントしないという手法は、コメントしたい人の意欲を奪うことによって荒れないようにする方法ですが、この方法を使ったからといって間違った主張が正しくなるわけじゃないし、ブログを過疎化させるという弊害もあります…。 -Nさんより-
確かにおっしゃるとおりです。私が書いたのは「荒れないように」という視点からなので「アクセスアップを目指すためには」「女の子にもてるBLOGにするには」といった視点で語れば、また別の方法も考えられるでしょう。
「この方法を使ったからといって間違った主張が正しくなるわけではない」
これはBLOGの発信者が何を求めているか? によると思います。自分の主張に対しての浄化作用などを求めるなら、確かにそうだろうし、広く意見を求めるのがいいでしょうね。ただ主張したいだけの人にはいらないことだと。
「ブログを過疎化させるという弊害もあります…」根本的にはBLOGの人気はコメント欄の有無でもデザインでもなく「書いてある内容」だと私は考えています。人気・アクセスを求めるかという問題はあるにしても、BLOGの面白さは記事にあるわけだし。ここがしっかりしていれば過疎化は起こらないでしょう。
BLOGを見ている人にとってのBLOGの面白さは、実際に書かれている記事が主だとは思いますが同時に「同じ記事を見た他の人がどう思ったか?」も楽しめる重要な要素ではあると考えています。「自分の感想が世間一般のソレと同じか? 違うのか?」みたいなところです。この意味でコメント欄そのものを閉鎖するのは私はあまり面白くないと思う。トラックバックも同じ意味合いです。管理人によってはコメント欄にネガティブなことを書かれること自体を嫌がる人もいるので、判断は管理人によるでしょうね。個人の日記のようなBLOGは別ですが、ある程度のアクセスのブログでは、筆者との直接対話というのはBLOGの楽しみ方としてはオマケみたいな部分じゃないかなと思います。アクセスが増えれば時間的な制約や悪意ある人の出現もあって、必然的にコメントしない方向にならざるをえないんじゃないでしょうか。
コメント1つ1つに返事ができないけども「これはおかしいよ」みたいなコメントが集まれば、BLOGの作者も無視せずに、なんらかのアクションを起こすと思います。「コメントに返事をしない」=「読者の意見・存在をまったく無視する」というわけでは、少なくとも私はありません。私のスタンスですがスパム関係は別として、いただいたコメントのすべてに感謝しています。取り上げやすいものは、このように勝手に取り上げさせてもらって、エントリーにしています。
管理人が答える義務や責任がないと言ったと同様に、閲覧者にも筆者からの問いかけに答える義務も責任もないのは当たり前です。私もコメントがどうしてもほしいというわけではないですが、あればやっぱり嬉しいです。管理人側の意見としてですが、コメントもらうメリットは、やっぱり書いたものを読んでくれているのだと実感できることや、見ている人がどう思っているのかを知れたり、あるいはネタになったり、書こうと思っていたことを思い出せたり、別の視点での指摘、これは批判も含めてですが様々じゃないでしょうか。筆者のモチベーションにつながる部分はあると思います。
と、同時にそのコメントは他の閲覧者にとっても楽しめるものになりうるのではないかと考えています。CGM(Consumer Generated Media)みたいなところと関連してくると思うんけど、見ているだけよりは、少しでも参加してくれてBLOG面白さの一部を生成してくれる関係がベストだと考えています。インタラクティブな要素が皆無というのは面白くないとは思うけども、管理者の時間的な制約や思惑によって排除せざるをえない事情もある。結局は管理者が何をどうして最終的にどうしたいのかという、当たり前の話に行き着くことになるでしょう。
私もコメントしないと切り替えたものの、コメントを見ているとちょっと歯がゆさもありますね。「それはそうじゃないんですよー」と思わず言いたくなりそうです。「閉めたと思った扉がちょっと開いてた」ぐらいの気になる具合です。そのうち慣れるんでしょうが。しばらくは慣れるために、コメント欄に直接返事をするのを意識的にひかえてみます。アシカラズー!
コメント
>コメント1つ1つに返事ができないけども「これはおかしいよ」
>みたいなコメントが集まれば、BLOGの作者も無視せずに、なんらかの
>アクションを起こすと思います。「コメントに返事をしない」=
>「読者の意見・存在をまったく無視する」というわけでは、少なく
>とも私はありません。
「日本にいるなら日本語で話せ」の中で、管理人さんの意見に否定的
だった人たち(kimuraさん、nonokoさん、すいかさん、Francaisさん
辺り)の大部分が、この意思を感じることができなかったということ
なんでしょう…。
当事者じゃないので正確には分かりませんが、きっとこの人たちは、
自分達の意見を取り入れた結果、管理人さんの主張がどう変わった
のか(自分達の意見が封殺されなかったこと)、その変わった結果の
内容を知りたかったのではないかと思います…。
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>管理人の意見を変えたいとかなら、メールで伝えるという方法も
>あるかもしれないけど、どうなんでしょうね。逆に管理人側に
>封殺される危険性もあるかな。よくわからない。
・封殺の言葉の意味するところがよく分かりませんが、仮にそれを
「自分とは相反する意見を、問答をせず却下する」こととするならば…。
(1) メールだろうとコメントだろうと伝達手段に関わらず、無視
すれば封殺できます。
(2) 相反する意見に対し、その意見「も」間違ってないと思います、
と言うことで自分の意見「も」間違っていないことにして、結局は
相手の意見を受け入れないことによっても封殺できます。
・自分自身だけでなく他者にも通用するような内容の主張を言おう
として、それが間違った内容であるならば、「間違っていることは
正したい」という気持ちの他者によって否定されます。他者の否定が
正しいとき、他者の否定を受け入れて自分の主張を変えるか、他者の
否定が正しくてもそれを受け入れず自分の主張を変えないか、取れる
行動はだいたいこの二通りだと思います。前者の方が、建設的な決着
ではあります。
・あと、それ以前に、管理人さんとしてどうしたいかですが…。
(1) 自分の主張を否定されることが嫌ならば…、正しい根拠に
基づいて、正しい主張をすることが大事です。
(2) 自分の言ったことが正しいとか間違ってるとか議論になる
のが嫌ならば…、上で書いたような「自分自身だけでなく他者
にも通用するような内容の主張」を言わないこと・かつ、そう
いう風にとられないように言うことが大事だと思うのですが、
どうでしょうか…。
長くなってしまいすみません。